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“自分にやや酔ってるサブカルおしゃれの「No MUSIC NO LIFE」みたいな知り合いがいるんだけど、今Twitterでみかけたら見事に脱原発になっててふいた。
テンプレートでもあんの?”
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ごあいさつ    代表幹事  岡村 勲  1997年、仕事の上で私を逆恨みした男によって妻が殺害されました。弁護士生活38年目にして犯罪被害者の遺族となって、被害者や家族がどんなに悲惨で、不公正な取り扱いを受けてるかということを、初めて知りました。加害者の人権を守る法律は、憲法を始め詳細に整備されているのに、被害者の権利を守る法律はどこにもありません。
 こうした体験から、数人の犯罪被害者と語らって「犯罪被害者の会(現 全国犯罪被害者の会)あすの会」を設立したのですが、調べれば調べるほど、我が国の犯罪被害者は、どこからも保護を受けない、あたかも国籍を失ったような存在であることがわかってきました。

  刑事司法の面から見てみましょう。
 犯罪にあえば、誰でも無念の思いにかられ、裁判所が加害者を処罰して無念を晴らしてくれるものと期待しますが、裁判所は加害者の権利を守りこそすれ、被害者の味方ではありませんでした。最高裁判所は、刑事裁判は社会秩序維持を護るためにあるので、被害者のためにあるのではないとというのです(1990年判決)。被害者のためにするのではないのですから、被害者は捜査や裁判から一切関与させてもらえず、すべて蚊帳の外に置かれます。起訴するかどうか、裁判の期日をいつにするかは、被害者と関係なく行われ、訴状も,冒頭陳述書も、論告要旨も、判決も被害者には送ってきません。被害者は、捜査や裁判に必要があるときだけ呼び出され、ご用が終わればそれまで、という存在です。


  経済面を見てみましょう。
 加害者は、逮捕されてから刑務所や少年院をでるまで、食費、医療費、衣服費、ガス、水道、ちり紙代まで一切国の費用で賄うのです。弁護士も国の費用で依頼できます。刑務所の医療病棟や医療刑務所で手厚い治療が受けられます。
2002年度の決算を見てみますと、
(1)逮捕されてから48時間以内に、警察が出した医療費と食料費は3億7817万2000円に上っています。
(2)それ以後については、食料費146億800万円、衣服費10億3300万円、医療費21億9000万円、光熱費、燃料費72億8600万円、生活管理費(ちり紙、歯ブラシ代その他)50億8600万円で、合計397億100万円となっています。
(3)また国選弁護報酬は65億8100万円に上っています。

 結局(1)(2)(3)を合計すると、466億6017万2000円が加害者のために支出されております。もちろんこの中には、刑務所などの職員人件費、施設費などは含まれていません。これらを入れると、2000億円は軽く越えるでしょう。

  これに反して被害者はどうでしょうか。
 被害者は、被った傷害の医療、介護費、生活費はすべて自己負担なのです。重傷を負って植物状態となったり、寝たきりになったりしても病院は長期入院させてくれず、病院探しの苦労は大変で、家族や親戚は疲労の極に達します。病気でないので、介護保険の適用もありません。住宅ローンの返済も済んでいないのに、車椅子用の改造も自費でしなければなりません。疲れ果てた家族は一家離散したり、子供は親戚に引き取られたりする例も少なくありません。
 20年前に犯罪被害者等給付金支給法ができて、一部の障害者や遺族に国から見舞金のような給付金が出ますが、2002年度の給付金は 11億1302万円で、加害者への国費支出と比べると、雲泥の差があります。

 我が国では、被害者よりも加害者が大切にされています。加害者少年を保護する法律はあっても、痛手を負って立ち上がれず身体的・精神的に苦しんでいる被害者少年を保護する法律や制度はありません。我が子の最後を知りたいと思っても、加害者の更生やプライバシー保護を理由に詳細を教えてくれません。不起訴事件の捜査記録も見せてもらえません。

 最近ようやく被害者保護がいわれるようになり、いわゆる保護三法ができ、少年法の一部改正も行われましたが、やっと糸口についたばかりで、外国に比べると20年以上の遅れがあるといわれます。
 フランスでは、被害者は訴追権を持ちます。ドイツは軽罪は被害者だけが訴追権をもち、重罪は検察官だけが訴追権をもちますが、起訴法廷主義ですから、起訴猶予によって被害者が泣かされることはありません。
 両国とも、刑事裁判中に民事の損害賠償請求訴訟を起こすときは、印紙不要で、刑事裁判官が民事事件を一緒に裁判し、刑事の証拠をそのまま使って刑事判決と同時に民事判決を下すという、付帯私訴の制度があり、昭和23年まで我が国でも行われていました。イギリス、アメリカでは賠償命令の制度があり、刑事事件のなかで被害者の損害の回復を図っています。 


 被害者や家族の受ける被害は、法制面、経済面だけに限りません。
 マスコミは天から蝗が襲いかかるように容赦ない取材攻勢をかけ、被害者や家族の心を食い荒らしていきます。人々は社会は好奇と偏見をもって興味本位の噂をまいていきます。被害者は犯罪による苦しみのうえに、こういう苦痛を受けなければならないのです。この被害の方がむしろ大きいかも知れません。

 犯罪被害者は、長い間こういう苦しみに耐えてきました。声を出すと好奇の目で見られます。そんなにお金が欲しいのか、お前の方にも落ち度があったのだろう、といわれます。必死で耐えてきたのです。
 しかし、これ以上我慢することはできません。

 私たちは、「犯罪は社会から生まれ、誰もが被害者になる可能性がある以上、犯罪被害者に権利を認め、医療・生活保障・精神的支援など被害回復のための制度を創設することは、国や社会の義務である」と考えます。たまたま犯罪に巻き込まれた者だけに被害をおわすのは公正ではありません。お恵みではなく、権利として国に補償を請求したいのです。
 残念ながら、犯罪は日々発生します。被害者の権利と被害回復制度の確立が遅れれば遅れるほど、救われない被害者の数は増えていきます。

 全国犯罪被害者の会は一日も早い目的達成に向けて行動します
どうかあなたの勇気と力をお貸しください。

  全国犯罪被害者の会の通称をあすの会としたのは、今日は苦しいが、あすはきっとよくなるという願いを込めているのです。
 外国では,Natioal Association of Crime Victims and Surviving Families として紹介されています。

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“本物は自分が本物だと気がついていないので淡々としているが、偽物は自分が偽物だと気づいているから、必要以上に本物ぶる。”
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“つまり知らない人を疑う判断を子供にさせるのではなく
「待ってて、誰かに言ってくる!」
これを必ず言うことを教育するのです。

先の訓練では例えば周りに大人がいない状況を作り、
職員室なりに大人を探しに行かせる。
友達に伝える子には「50点!大人に言ってね」とダメ出しをする。

「待ってて、誰かに言ってくる!」という表現は
相手が疑わしくても優しく見えても、
どちらにしても気遣いなく発しやすいです。
良い人なら待ってますし、悪い人ならすぐに離れます。
子供自身も「待ってて、誰かに言ってくる」と言ったからには
次の行動は即座に場を動くことになります。”
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“正義に目覚めた人間は、あらゆる物事を二元論で捉えるようになり、「敵と見なした者にはいかなる攻撃も許される」と考えるようになり、人の話を聞かなくなり、事実を見なくなり、最後には自分に同意しない人間全てを敵と見なすようになる。あとbio がクソ長くなり、アイコンが本人の顔写真になる。”
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ごあいさつ    代表幹事  岡村 勲  1997年、仕事の上で私を逆恨みした男によって妻が殺害されました。弁護士生活38年目にして犯罪被害者の遺族となって、被害者や家族がどんなに悲惨で、不公正な取り扱いを受けてるかということを、初めて知りました。加害者の人権を守る法律は、憲法を始め詳細に整備されているのに、被害者の権利を守る法律はどこにもありません。
 こうした体験から、数人の犯罪被害者と語らって「犯罪被害者の会(現 全国犯罪被害者の会)あすの会」を設立したのですが、調べれば調べるほど、我が国の犯罪被害者は、どこからも保護を受けない、あたかも国籍を失ったような存在であることがわかってきました。

  刑事司法の面から見てみましょう。
 犯罪にあえば、誰でも無念の思いにかられ、裁判所が加害者を処罰して無念を晴らしてくれるものと期待しますが、裁判所は加害者の権利を守りこそすれ、被害者の味方ではありませんでした。最高裁判所は、刑事裁判は社会秩序維持を護るためにあるので、被害者のためにあるのではないとというのです(1990年判決)。被害者のためにするのではないのですから、被害者は捜査や裁判から一切関与させてもらえず、すべて蚊帳の外に置かれます。起訴するかどうか、裁判の期日をいつにするかは、被害者と関係なく行われ、訴状も,冒頭陳述書も、論告要旨も、判決も被害者には送ってきません。被害者は、捜査や裁判に必要があるときだけ呼び出され、ご用が終わればそれまで、という存在です。


  経済面を見てみましょう。
 加害者は、逮捕されてから刑務所や少年院をでるまで、食費、医療費、衣服費、ガス、水道、ちり紙代まで一切国の費用で賄うのです。弁護士も国の費用で依頼できます。刑務所の医療病棟や医療刑務所で手厚い治療が受けられます。
2002年度の決算を見てみますと、
(1)逮捕されてから48時間以内に、警察が出した医療費と食料費は3億7817万2000円に上っています。
(2)それ以後については、食料費146億800万円、衣服費10億3300万円、医療費21億9000万円、光熱費、燃料費72億8600万円、生活管理費(ちり紙、歯ブラシ代その他)50億8600万円で、合計397億100万円となっています。
(3)また国選弁護報酬は65億8100万円に上っています。

 結局(1)(2)(3)を合計すると、466億6017万2000円が加害者のために支出されております。もちろんこの中には、刑務所などの職員人件費、施設費などは含まれていません。これらを入れると、2000億円は軽く越えるでしょう。

  これに反して被害者はどうでしょうか。
 被害者は、被った傷害の医療、介護費、生活費はすべて自己負担なのです。重傷を負って植物状態となったり、寝たきりになったりしても病院は長期入院させてくれず、病院探しの苦労は大変で、家族や親戚は疲労の極に達します。病気でないので、介護保険の適用もありません。住宅ローンの返済も済んでいないのに、車椅子用の改造も自費でしなければなりません。疲れ果てた家族は一家離散したり、子供は親戚に引き取られたりする例も少なくありません。
 20年前に犯罪被害者等給付金支給法ができて、一部の障害者や遺族に国から見舞金のような給付金が出ますが、2002年度の給付金は 11億1302万円で、加害者への国費支出と比べると、雲泥の差があります。

 我が国では、被害者よりも加害者が大切にされています。加害者少年を保護する法律はあっても、痛手を負って立ち上がれず身体的・精神的に苦しんでいる被害者少年を保護する法律や制度はありません。我が子の最後を知りたいと思っても、加害者の更生やプライバシー保護を理由に詳細を教えてくれません。不起訴事件の捜査記録も見せてもらえません。

 最近ようやく被害者保護がいわれるようになり、いわゆる保護三法ができ、少年法の一部改正も行われましたが、やっと糸口についたばかりで、外国に比べると20年以上の遅れがあるといわれます。
 フランスでは、被害者は訴追権を持ちます。ドイツは軽罪は被害者だけが訴追権をもち、重罪は検察官だけが訴追権をもちますが、起訴法廷主義ですから、起訴猶予によって被害者が泣かされることはありません。
 両国とも、刑事裁判中に民事の損害賠償請求訴訟を起こすときは、印紙不要で、刑事裁判官が民事事件を一緒に裁判し、刑事の証拠をそのまま使って刑事判決と同時に民事判決を下すという、付帯私訴の制度があり、昭和23年まで我が国でも行われていました。イギリス、アメリカでは賠償命令の制度があり、刑事事件のなかで被害者の損害の回復を図っています。 


 被害者や家族の受ける被害は、法制面、経済面だけに限りません。
 マスコミは天から蝗が襲いかかるように容赦ない取材攻勢をかけ、被害者や家族の心を食い荒らしていきます。人々は社会は好奇と偏見をもって興味本位の噂をまいていきます。被害者は犯罪による苦しみのうえに、こういう苦痛を受けなければならないのです。この被害の方がむしろ大きいかも知れません。

 犯罪被害者は、長い間こういう苦しみに耐えてきました。声を出すと好奇の目で見られます。そんなにお金が欲しいのか、お前の方にも落ち度があったのだろう、といわれます。必死で耐えてきたのです。
 しかし、これ以上我慢することはできません。

 私たちは、「犯罪は社会から生まれ、誰もが被害者になる可能性がある以上、犯罪被害者に権利を認め、医療・生活保障・精神的支援など被害回復のための制度を創設することは、国や社会の義務である」と考えます。たまたま犯罪に巻き込まれた者だけに被害をおわすのは公正ではありません。お恵みではなく、権利として国に補償を請求したいのです。
 残念ながら、犯罪は日々発生します。被害者の権利と被害回復制度の確立が遅れれば遅れるほど、救われない被害者の数は増えていきます。

 全国犯罪被害者の会は一日も早い目的達成に向けて行動します
どうかあなたの勇気と力をお貸しください。

  全国犯罪被害者の会の通称をあすの会としたのは、今日は苦しいが、あすはきっとよくなるという願いを込めているのです。
 外国では,Natioal Association of Crime Victims and Surviving Families として紹介されています。

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“子どもたちは人生の非常に早い段階から、感性の鋭い子とそうでない子に分かれるようです。
感性が豊かで鋭い子どもたちは、早くから親の状態なり気持ちなりを素早く感じ取ってしまいます。周囲の大人たちの気持ちや期待に応え、それに合わせて行動し、自分がしてほしいことを要求するのを自己規制するのです。(…)
少しひどい例えをお許しください。このような子どもは、親の愛情という人間の成長にとって必要な栄養をもらって自前のエンジンを育てる代わりに、機能抜群のセンサーを装着し、受信アンテナだけをひたすら発達させ、親の電波で動くラジコンカーのような人間です。
親からの指令電波が届かないところとか、それが役に立たない場面、学校や職場では立ち往生してしまいます。あるいは暴走するしかなくなります。”
— 小野修『トラウマ返し』p.44 (via izumiumi)

(via inr0w)

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“「ぶっ飛んでる」ことは実はあまり大切なことではなく、その上に「社会性があるか、ないか」の方が大切なんだと思います。社会性がなく、ぶっ飛ぶのは簡単です。社会性を持ちながら、フリークアウトするのは大変なんだと思いますが、そのような人たちは、大変だと自分では思わないので「ぶっ飛んでる」んだと思いますね。”
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“ただ熟練の調理人は、
時間を味方につける調理を心得ている。

例えばサラダ。
ドレッシングには油がたいてい含まれている。
油をとると太るからと、
ノンオイルドレッシングが人気だったりしますけれども、
この油。
温度の変化や乾燥に神経質なほど反応する、
野菜を空気から守るためのモノ。
味をつけるというよりも、繊細な野菜を外気から守る役割。
つまり「ドレス」のような役割をするもの。
それがドレッシングなのですね。
だから時間がたってもおいしい。
むしろドレッシングを絡めた当初は、
野菜とドレッシングが互いに反発しあって
それぞれ別のモノとして口で暴れる。
野菜は野菜の味がして、
ドレッシングはドレッシングの味がする。
ところがこれが時間がたつと、互いがひとつに混じりあう。
野菜の繊維にユックリ、しかし確実に調味料が忍び込み、野菜自体が変えていく。
レタスの葉っぱはしんなりと。
ニンジンや大根のような根菜類はハリを手に入れ、
甘みが増してく。

勢い良くバリバリ食べると、
一種類の「サラダ」という料理を食べて、
あっという間にお皿は空っぽ。
ところがユックリ味わうと、最初はサラダで
それが気づけば野菜のマリネのようになって
終わるのですね。
時間をかけるとひとつの料理を乗せた一皿が、
いくつもの料理を載せたお皿にかわる。
それが料理のもつ魅力。

だからユックリ時間をかけて料理を味わう。
まず、その姿。
葉っぱの色合いや、
それがパリッとクリスピーでみずみずしい様を眺めながら、
口の中でどんな味なんだろうと
シミュレーションをしてみたりする。
歯ごたえ。
味わい。
温度感。
本来、口が味わうべきさまざまなモノのヒントが
どこかにないかと思いながら、丁寧に料理を見てると、
香りがフワッとやってくる。
今まで食べたことがない料理であれば、
そのシミュレーションは一層たのしい。
どんな味がするんだろう?
今まで食べた、どんな料理に似てるんだろう‥‥、
と思いながら香りを味わう。
そしてみんなで互いが感じた感想を言い合っていると、
あっという間に1分、2分はすぎていく。”